F1グランプリの住人たちへ

1987年から観戦しているF1グランプリ・・・この魅力あるスポーツをあるがままに書き綴ります。
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1 N.マンセル ウィリアムズ ホンダ 52 1:18'44.898
2 N.ピケ ウィリアムズ ホンダ 52 1:19'40.602
3 T.ファビ ベネトン フォード 51 1LAP遅れ
4 T.ブーツェン ベネトン フォード 51 1LAP遅れ
5 A.セナ ロータス ホンダ 50 2LAP遅れ
6 A.プロスト マクラーレン ポルシェ 50 2LAP遅れ
7 S.ヨハンソン マクラーレン ポルシェ 50 2LAP遅れ
8 P.ギンザーニ リジェ メガトロン 50 2LAP遅れ
9 C.ダナー ザクスピード ザクスピード 49 3LAP遅れ
10 R.アルヌー リジェ メガトロン 49 3LAP遅れ
11 I.カペリ マーチ フォード 49 3LAP遅れ
12 P.アリオー ローラ フォード 49 3LAP遅れ
13 中嶋悟 ロータス ホンダ 49 3LAP遅れ
14 J.パーマー ティレル フォード 47 5LAP遅れ
15 P.ファブル AGS フォード 周回不足  
16 R.パトレーゼ ブラバム BMW R  
17 M.アルボレート フェラーリ フェラーリ R  
18 A.デ・チェザリス ブラバム BMW R  
19 D.ワーウィック アロウズ メガトロン R  
20 E.チーバー アロウズ メガトロン R  
21 G.ベルガー フェラーリ フェラーリ R  
22 A.カンポス ミナルディ モトーリ・モデルニ R  
23 A.ナニーニ ミナルディ モトーリ・モデルニ R  
24 P.ストレイフ ティレル フォード R  
25 A.カフィ オゼッラ アルファロメオ R  
26 M.ブランドル ザクスピード ザクスピード 失格

エステルライヒリンクと、この当時呼ばれていたサーキット。
この1987年は、スタート直後のクラッシュが繰り返し発生し、
2度の赤旗中断、再スタートを含め計3回のスタートとなった。
3度目のスタートでも追突が発生したり、
アイルトン・セナがエンジンストールし一時コース上に取り残されるなど、
荒れたレースとなったことで印象が残ってる。

この多重クラッシュを原因の一つとして、オーストリアGPは、
1988年以降開催されないことになり、オーストリアGPは姿を消した。
しかし、大規模なコース改修を施して、A1リンクとして、
1997年~2003年まで、ドイツに近いということもあり、
ミハエル・シューマッハ全盛時代に開催されることとなるのである。

優勝はナイジェル・マンセル。
この当時、マンセルの速さは他のドライバーよりもぶっちぎって速かった。
ノレた時の速さはセナ以上だったのではないだろうか。
しかし、非常にミスの多いドライバーやったんよね~
なので、タイトル争いに絡むこと多かったが、すべて逃す結果に。
この年も日本GPで・・・これはまた次回に。

しかし、1992年にエイドリアン・ニューウェイの最高傑作、
ウィリアムズFW14Bを駆って、悲願のワールドチャンピオンを決めるのである。
まあ、あの車は、そこそこ速いドライバーが乗っても、勝てる車やったから、
チャンピオン決めることができて、当然ではあったが(^^;)
けど、16戦中14回のポールポジション、計9勝はマンセルでないとできなかったであろう。

余談で・・・このGP、表彰台へ向かうオープンカーに乗っていたマンセルは、
観客に手を振ろうと立ち上がった際、ちょうど車が橋の下を通過しようとしていたため、
橋桁に頭を思い切りぶつけてしまい、頭を抱えながら表彰台に上がるハメになってしまった。
こういうドジなところがマンセルらしいですね(^^)

大英帝国の愛すべき息子・・・
この当時はまだまだ遅咲きのドライバーであったのである。
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